2006年 05月 01日
尊厳
「尊厳」 ‥とうとくおごそかで、おかしがたいこと
「尊厳死」 ‥一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、或いは迎えさせること。近代医学の延命技術などが、死に臨む人の人間性を無視しがちであることへの反省として、認識されるようになった。 岩波書店『広辞苑』
人間らしく最期を迎えたい。
意識しているか、いないかにかかわらず、我々はそう願っているはずだ。
人間らしく、人間に生まれたのならば。
我々人間だけでよいのだろうか。
「らしく」最期を迎えることができなくても。
その他は・・・
写真は、以前の草刈作業の「草刈り器」によって、頭を削られた筍の「最期」だ。
介錯は山小屋であった。
何か哀れでならない。
筍にも「尊厳」があってもよいのではないだろうか。
おびただしい数の、頭なしの筍を掘りながら、涙がにじんできた。
自分も人間らしく最期を迎えられるのだろうか。
人間だけでいいのだろうか・・・
とは言いながら、他の命をいただいて、人間としての命を永らえている。
パラドックスの狭間でもがいている。
溺れそうだ。
竹の秋あひる汚れて飼はれけり 成瀬桜桃子
* 竹の秋(春)‥他の植物とは異なって竹の葉は春に黄ばむので、春の季語として用いられる。
by yamagoya333
| 2006-05-01 00:53
| 山小屋日誌