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潤む さくら色に ・・・

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 降りしきる雨の中での撮影です。

 櫻の木全体から「さくら色の気」が発しているように感じます。
 雨のせいで櫻の木、枝先、輪郭に、その「気」がうるんで漂っているように思えるのは、筆者だけでしょうか。

 櫻の木が、全身で花を咲かせる準備をしています。

 以前にも記事にしましたが、この時期になると、詩人「大岡 信」の『言葉の力』という作品を想い起こします。


 本日は、この文章を教材にして、生徒たちに、「語って」きました。
 どのくらいのウェイトがあってでしょうか。
 今日の一日だけでは、測ることができません。

 10年・20年後が、楽しみ???です!!

 
 人にも、自然に対しても、優しい言葉を使いたいですね。
 自分が使う その一語・一語が、己の内面をも表していることを意識しながら。


       葡萄ぶどう食ふ一語一語のごとくにて     中村 草田男




     「言葉の力」  大岡 信

 人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとはかぎらない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙ごいだけのものではなくて、それを発している人間全体をいやおうなしに背負ってしまうところがあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。


 京都の嵯峨に住む染色家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは、淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでしかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
 「この色は何から取り出したんですか。」
 「桜からです。」
と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色がとれるのだという。志村さんは続けてこう教えてくれた。この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。


 私はその話を聞いて、体が一瞬揺らぐような不思議な感じに襲われた。春先、もうまもなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裏に揺らめいたからである。花びらのピンクは、幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。 咲くころは全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものにすぎなかった。
 考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全体の色として見せてくれると、はっと驚く。


 このようにしてみれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は、桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかしほんとうは全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というのも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。
by yamagoya333 | 2010-02-27 08:18 | 山小屋日誌